RB Leipzig №9 Yussuf Poulsen〔インタビュー〕(2020/05/20)

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「比較してみると僕の部屋の方が断然整理されていたね。」そう語るのはPoulsenと同じ2013年にLeipzigに加入し、現在はBayern MünchenでプレーするJoshua  Kimmich。当時彼らは同じ屋根の下で暮らしていた。
「ラッキーなことに家には2つバスルームがあったんだ。もし(1つしかなくて)、僕がYussiの髪の毛の手入れを待たないといけなかったら、僕たちは常に遅刻していただろう。」とトレードマークの長髪の手入れには時間がかかっていたことも明かす。

Poulsenが加入後練習に遅刻をしてしまい、次の試合を欠場したことがあったそうだが、これによってLeipzigのクラブとしての在り方とPoulsen自身の在り方は大きく変わった。

当時19歳だった2013年に加入して以来、毎シーズン30試合以上公式戦に出場しているPoulsen。先週末のFreiburg戦(19-20 第26節)では初めてゲームキャプテンとしてアームバンドを巻いて出場した。そして、次節のMainz戦(19-20 第27節)に出場するとLeipzigでの出場試合数は250に達する。この記録はもちろん歴代最多のもの(2位は214試合でDiego Demme)だ。
これらはかつて練習に遅刻した若かりしPoulsenが年月を経て選手としても人間としても一人前になれた証でもある。

かつての監督、Alexander Zorniger(13年の加入から15年11月まで指導)はPoulsenについてこう語る。
「初めてビデオを通してYussufのプレーを見た時、彼はボールを失ったら奪い返すためにピッチの端から端まで全力で走っていた。そして、それを1度だけではなく1試合の中で数回繰り返していた。彼は常に限界まで自分を追い込み、彼の力強さや願望を存分に表現していた。学びたいという意欲もだ。彼がもう何もできない状態になっている時、彼のタンクの中にはもう本当に何も残されていないということを理解していた。」
彼の縦横無尽に走り回る献身的なスタイルは昔から変わらずあって、常に全力を尽くしていることがわかるエピソードでもある。

ストライカーではあるものの、彼の凄さは点を取るところ以外にもデータとして表れている。
17-18シーズンは4分に一度の頻度でチャレンジに勝っている。この割合は彼が14歳まで務めていたディフェンダーのものだとしたら素晴らしいものである。
チームキャプテンでディフェンスリーダーでもあるWilli OrbanはPoulsenについて、「ボールがあろうとなかろうと、彼はマシーンのようだ。チームにとってとてつもない量の仕事をこなしてくれる」と高く評価。

18-19シーズンにはストライカーに一番必要とされるであろう得点を15(リーグ戦)もあげた。これにより、デンマーク人としてはバロンドールも獲得したAllan Simonsen、SchalkeのアイコンであるEbbe Sand以来3人目となるブンデスリーガ1シーズンで14得点以上記録した選手になった。
また第27節のHertha Berlin戦ではLeipzigの歴史上初めてハットトリックを記録した選手にもなった。
試合後には「まだマッチボールをどこに置くかは決めていない。今季が1部で戦う3季目で、ここまで来るには多くの時間がかかった」とコメントも残す。

「Yussufのこれまでのすべての努力が報われた」と語るのは2度にわたって指導し、Poulsenの成長を目の当たりにしてきたRalf Rangnick。
Poulsenの強靭なフィジカルとチームに対する変わらぬ献身性。そして相棒であるTimo Wernerの特徴であるスピードを生かすプレーと2人の連携。これらが相手ディフェンダー陣に脅威を与え続け、ブンデスリーガ屈指ともいわれる強烈なコンビを生み出している。

Yussi(Poulsenの愛称)の勇敢さとチャレンジ精神は彼の父によってもたらされたものでもある。デンマーク代表のユニフォームの背中に刻まれるYuraryはタンザニア人の父Shihe Yuraryのものだ。ただ、彼はYussiが6歳の時にガンで亡くなっている。
父は息子が初めて加入した地元のFK Skjoldでプレーする姿は目にしていものの、Lyngby、そしてLeipzigでの活躍を見ることはできなかった。
「Leipzigに移籍してきたときに背中に’Yurary’と入れれないか?と聞いてみたけれど、契約を結んだ時には既に’Poulsen'と書かれたユニフォームがあったんだ」とYussiは語る。
「父にサッカーの世界を教えてもらった。プロではなかったものの定期的にプレーしていた。僕らは彼のいない中生きなければいけなかった。今、僕は毎試合彼と共に戦っているんだ」

Leipzigに加入する際にPoulsenは「僕は毎週末プレーしたいし、ビッグクラブのベンチに座っているようなことは望まなかった。ここでは僕はファーストチームの一員で、成長もできる。クラブからの熱い気持ちもとても印象的だった」と移籍当時を振り返る。
まだプロ駆け出しだった本人にとっても、当時3部に所属していたLeipzigにとっても19歳のストライカーに移籍金€1.55M支払っての移籍はギャンブルでもあった。
ただもうすぐ26歳を迎える今、振り返ると彼の移籍は彼にとってもチームにとっても大成功だった。

Poulsenはサッカー選手として成功を収めれなかったら「経済学か数学の勉強をしていただろう」と語る。ただ、彼が自分を信じ、ひたむきに努力を積んだ結果、我々は優秀なストライカーとしてのPoulsenを今見ることができている。
「当時は間違いなくベストな選手ではなかった。」そう語るのは母国デンマークでの幼少期のPoulsenを知るThomas Frankコーチ。「ただ、彼の1番の才能は優れたメンタリティーだ」と彼の強い志がPoulsenをここまでの選手へと成長させたことを口にする。
「僕はデンマーク随一のタレントでもないし、誰もそのような選手になるとは思っていなかった。でも、ある人がそうなれないと言ったとしても、僕はそうになれることを証明したかった。」

ブンデスリーガチャンピオンズリーグ、代表戦で彼と対峙してきたディフェンダー達はわかっている。彼がそのような選手であることを。